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作者: kerycheng (甚麼都不想做的凱瑞) 看板: C_Chat
標題: [情報] 京阿尼縱火者的治療 內心揪葛與苦惱
時間: Sat Jul 27 12:49:24 2019
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【京アニ放火事件の容疑者の治療をするということ 葛藤と苦悩】
【治療京阿尼縱火事件的嫌犯 內心揪葛與苦惱】
「京都アニメーション」のスタジオが放火された事件から1週間あまりが経った。
距離「京都動畫」工作室縱火案已經過去一週了。
容疑者は治療を受けるため病院を転々としていたが、意識を取り戻したと報道された
。そんな中、ネット上では「治療をするな」「痛み止めをせず苦しませろ」などの声が
上がっている。かつて容疑者の治療にあたった経験がある医師の立場から所感を述べた
い。
有報導說,嫌犯接受治療而需要轉院,現在已經恢復意識。在這種情況下,網路上也不乏
有「別給他治療啦」「別用止痛藥,讓他嚐嚐痛苦」的聲浪。在此來談談一位經歷過嫌犯
治療的醫生立場。
いま治療にあたっている医師、看護師、病院スタッフは複雑な思いをすることもある
だろう。まだ容疑の段階だが、30人以上を殺めた容疑者の治療に医療資源をそそぎ、お
そらく最高の医療を提供していることと思う。容疑者はおそらく全身の重度のやけどや
気道熱傷などの治療を受けていると思われるが、一般に、超重症のやけどの治療には大
変な数の人手や大量の輸血など極めて高度な集中治療が必要になることが多い。筆者は
外科医として熱傷治療に携わっていたことがあり、その大変さはよく知っている。
現在正在治療的醫生、護士、醫院的工作人員或許會有種複雜的感覺。目前還處於還未定
罪的階段,為殺死30多人的嫌疑犯提供醫療資源,並提供了最好的治療。一般認為嫌犯正
在接受全身嚴重燒傷、氣吸道燒傷等等的治療,但是嚴重燒傷的治療都需要非常多的集中
治療,如需要大量人手幫忙或大量輸血等等。筆者我作為一名外科醫生,也曾參與過燒傷
救治,也知道那有多麼辛苦。
今回の事件に限らず、例えば大量殺人犯がいたとして、その犯人が病気や怪我になっ
たときになぜ全力で治療をせねばならないのか。感情的には、医者としても強いためら
いがある。そして我々医療者は、感情的にためらったまま行う治療が最善のものとはな
らないことは知っている。
也不只這次的事件,假如有大規模殺人犯,為什麼兇手在生病或受傷的時候必須全力治療
呢。醫生在情緒方面會有所掙扎。作為醫療人員的我們都清楚,在在帶有情感的情況下是
無法給予妥善的治療。
現代の医療において、医者は、そして医療者は、大変な思いをしてなんとかやっと一
人の命を助ける。死の淵に立った人をこちら側へ引っ張り戻すのは、並大抵のことでは
できない。21世紀になりこれほど医学が進歩したように見えても、今でも助けられない
人は助けられないのだ。そういう現状のなか、いとも簡単そうに何人も殺めた人を全力
で救うことのジレンマは、医療者のこころにあるだろう。
在現代醫療下,醫生以及醫療人員要費盡心機才能救活一條人命。要把站在死亡邊緣的人
拉回來是很不容易的。即便在現在21世紀,醫學已經有了有大的進步,仍然有需要幫助的
人無法得到幫助。在這種情況下,要救一位能輕易殺害別人的人,在醫療人員的心裡也是
進退兩難。
あまり語られていないことだが、病院にはある種の「懲罰的な感情」があることを記
しておく。例えば酒の飲みすぎで急性アルコール中毒になり救急車で夜中に運ばれてき
た若者に、「自業自得」「迷惑」としてあえて太い針で点滴を刺して痛みを与える、と
いったことはしばしば耳にする。それ以外にも、医療費が事実上無料である生活保護受
給者で、まるで病院をホテル代わりに利用するような患者へは高額な治療を受けさせな
いと公言する医師もいる。まるで神のような振る舞いで私は好きではないが、病院には
それくらいの裁量権があり、感情的になった治療というものも存在するのだ。
雖然沒什麼人會提到這件事,醫院裡頭有一種叫作「懲罰性感情」的東西。比如說,因過
度飲酒導致急性酒精中毒,半夜被救護車送過來的年輕人,常常會聽到用粗針打點滴給他
們帶來痛苦,當作「自作自受」「(給別人)添麻煩」的懲罰。除此之外,還有一些醫生公
開宣稱,有些領著生活保障金而不用付醫療費的病人把醫院當成飯店在住,會不給他們提
供好的醫療服務。我不喜歡這種彷彿神一般的行為舉止,醫院擁有這樣的裁決權,也就會
存在著這樣帶有感情的醫療行為。
(倒數第二段「高額な治療を受けさせない」暫時翻成這樣,如果按照原意會感覺怪怪的)
綺麗事を言うつもりはない。現場の医師、看護師、スタッフの皆さんは苦しみつつも
全力で容疑者の治療をしているだろう。犯罪者の治療にあたった経験がある私としても
、その苦悩は痛いほどよくわかる。しかし医療者は神ではない。裁判官でもない。医療
者にできることは、ただ目の前の病める人を全力で良くする、その一点のみなのだ。そ
こに感情を介入させてはならない。
我不說那種場面話。在現場的所有醫生、護士和醫療人員都正痛苦的幫嫌犯盡全力治療。
作為曾經有過治療犯罪者經驗的我來說,我也清楚那種苦惱的痛苦。但是醫療人員也不是
神。也不是法官。醫療人員唯一能做的就是全力救治眼前的病人。不該讓感情介入其中。
どうしても感情を殺せないという人には、このコメントを引用させていただきたい。
假如無論如何都無法壓抑情緒的人,請允許我引用這段評論。